分断の完了
世の中は大きな分岐点を通過したように見える。
仕掛けている側の企図したとおりに。
今回の珍頃騒動を通して最も鮮明に分断されたと観じたのは、洗脳されたい人とされたくない人という2極化である。
それぞれのわかりやすい傾向で言えば、洗脳されたい人は、メディアの言うことを鵜呑みにし、クリティカルシンキングをしない人たちである。
洗脳されたくない人は、メディアリテラシーがあり、クリシンを常にしようとする人たちである。
その意味では、クリシンができるかどうか、ないし、思考力の有無によって分断が起こっているのかもしれない。
我が国においては、思考力を根こそぎスポイルするような教育が横行している。
安直な答えを導き出すことにしか頭を使えないように調教されきっている。
その上で今回のような茶番をぶち込んできているのだから、彼らからしたらうまくいくに決まっているよね。と自嘲気味に思う。
教育は国家100年の計とよく言われるが、本当に100年以上の時間をかけてじっくり破壊工作を行われてきた感がある。
敵ながらあっぱれと言う他ない。
2025年終末説
ともすれば、2025年にはいろんな意味でゲームオーバーといった状況になってしまっているかもしれない。
ファイザーの副社長が言うように、もし、ワクチン接種者の余命が2〜3年だとするならば、その頃には本当に人口が激減するであろう。
また、全く以て笑えないが、ワクチン接種者こそ、コロナで死んだことにされるのであろう。
こればかりは、時が経ってみないと何とも言えないが、人類にとって最悪のシナリオとしてありえない話ではない。
ヨハネの黙示録に出てくる第1の鉢の獣の刻印とは今回のワクチンのことなのではないか。
皮肉ばかり言っていても仕方がないので、これからどうやって状況を好転させていったら良いのか少し考えてみたい。
新たな産業創造
映画マトリックスのようなディストピア的世界観が進行していく可能性はそれなりにあると思う。
その例えになぞらえて言うと、洗脳されたくない人たちは、ザイオンの住人である。
我々は、現在の高度経済成長期に最適化された旧態依然とした教育システムを望まない。
まともな思考力や愛国心や自国の文化などが身に付けられるような教育システムを求めている。
人口が減っていく世の中なので、社会構造は、ある意味では時間が逆戻りしていくような様相を呈する。
教育システムとしては、インターネットの存在を前提とする寺子屋のようなものがフィットするだろう。
オンライン学習だけで全てが完結させるがマズいことは誰しも肌感覚として持っていると思われる。
まともな思考力があり、きちんとした背中を見せることができる大人がその地域地域において教育者として立っていく必要がある。
教科書はe-learning的なものに置き換えられ、日教組は排除され、まともな人間がその地域の若者教育をしていくような仕組みに置き換わっていく。
少なくとも、私はそういったものを求めているし、これから創っていく予定である。
教育のみならず一次産業およびその周辺領域も伸びていくだろう。
グローバリゼーションは今まで以上に進んでいくと思うが、一方では、シューマッハの『スモールイズビューティフル』的な世界観が浸透していく。
比較的小さなエリアに根ざしたコミュニティーが複数生まれていくはずである。
その中では衣食住・教育・医療・エネルギーの自給自足がなされる。
将来的に顕在化する問題点としては、日本の水道事業の民営化、水道水の安全基準の引き下げ等の法改悪といった背景があるので、安全で安価な水へのアクセスが困難になる可能性が高いことが挙げられる。
つまり、クローズドサイクルを指向する地域コミュニティーを作りたい者にとっては、水の確保が至上命題になっていく。
そのような背景を鑑みると空気中の水蒸気や雨水を活用するような技術を持っているプレイヤーは業績を伸ばしていくように思われる。
いずれにしても、プリミティブな資源や一次産業の周辺に位置する技術を持っている会社は間違いなくこれから伸びていくように思う。
ちなみに、このような社会構造の中では、ハイテクはフィットしない。
インターネット回線といったインフラや通信機器などはある意味致し方ないが、それ以外のものはローテクで賄えることが必須である。
例えば、太陽光パネルは、ローテクで製造することが難しいので、本当の意味でサステナブルではない。
そのようなものを系に組み込まないことがポイントとなる。
ローテクを前提としてシステムアップすること。
極めて模倣困難性が低く、技術移転が容易なものをパッケージングしていく必要がある。
そして、 それ無償ないし極めて安価に展開していくのだ。
これがザイオンの住人が生きながらえる唯一の道であるように観じられる。