記録に残らないから良いものを敢えて文字として残す事は如何なものかと思いつつ、皆で何を考察したのか、その足跡をたどることができるようにするためにここに記すものとする。
人のタイプ
人には、エネルギーを与えるタイプと奪うタイプの2種類が存在する。
これが入れ替わることは、余程のことがない限りないように思う。
奪う人はずーっと奪い続けるし、与える人は常に与える側にいるように観える。
奪うタイプは、意識的に奪う者もあれば、無意識的に奪っている人もいる。
「この人と会うと元気になる!」と言っている本人は奪うタイプで、そのお相手は与えるタイプなのだろう。
どちらが良い悪いという話しではないが、せっかくなら与える側にいたいと思う。
人の本質は善だと信じるがゆえに。
代償
エネルギーを奪うタイプで金儲けが上手な人がいる。
悪どいとまでは言わないまでも、誇大広告的な利己的さを感じる。
しかし、それを指摘するほどでもないという絶妙な感じに奪っていく。
そのような人は、お金を得る代わりに何かを失っているように感じる。
それが何なのかは、人それぞれだろうし、長期的な観察が必要だから分からないし、そこに興味もない。
ただ、健康、寿命、運気、本来のエネルギー、そういったものを対価として支払っているように思う。
目をそらすことの弊害
良心の呵責は誰にでもある。
ちょっとしたことでも、自分や人を傷つけたり悪いことをしていると分かりながら、それを行うことは自分のコンディションを悪くする。
心が傷んでいることから目をそらし、臭いものにフタをし続けるとそれが当たり前になってしまう。
経済は回るのかもしれないが、人生がおかしなことになっていく。
そして、何が原因でそうなったのかも思い出せなくなる。
エネルギーの流れと顕在化
高気圧から低気圧に向けて風が吹くように、接した者同士の間でエネルギーは高い方から低い方に流れる。
ある有名アーティストはライブの後、廃人状態になるそうだ。
それだけ与えているのだろう。
多くの人が元気になって帰っていくのだから、それは凄まじいエネルギー量をアウトプットしているに違いない。
一方、人からネガティブなエネルギーをもらった時、汚れが付着しているような状態になる。
あるヨガの行者曰く、そういったものをくらうと肉体的にも余計な脂肪がついて落ちない状態になったり、動きが渋くなったりするそうだ。
シビアに肉体を管理していない人にとっては、そのような気づきがあるのだろう。
観察すべきもの
肉体の状態は自分が行ってきたことの結果を表現している。
それを視て、自分が何をしたのかを省察するというのは合理的な振る舞いだ。
常に観察するべきは、自分の意図とアウトフロー。
意図が善性に基づくもので、それを正しいやり方で出力できていれば、良い結果が返ってくるのは当然の帰結だ。
どのようなことでも、その原因を己に求めていなければ、それは修行者ではないと言える。