記録に残らないから良いものを敢えて文字として残す事は如何なものかと思いつつ、皆で何を考察したのか、その足跡をたどることができるようにするためにここに記すものとする。
世の空気感と修行の方向性
この世界に流れる氣やエネルギー的なものの質について、西洋占星術では、天体の運行にその根拠を求め、読み解こうとする。
瞑想的に生きていると、ふと空気感が変わったことを感じとって、何らかの転換点のようなものが訪れたと思う時がある。
K氏曰く、最近は、ストイックに修行するスタイルよりも緩めていく方向性の方が、世界からサポートされやすそうとのこと。
ニュータイプなお坊さんなどが世に出てきているのも、世界のエネルギー感が変わる、あるいは、変わったことの証左かもしれない。
思念と媒体
小池龍之介さん曰く、瞑想合宿などで、参加者の思いに当てられるのが辛いらしい。
紙幣に付着したエネルギーを視たりしたら辛いのだろうな。
電子的にお金を受け取った場合、支払った人が直接自分に思念を向けていなければ、影響を受けなそうだ。
金融の仕事をしている人は、電子的なお金を扱っているけれども、仲介することでお金そのものに向けられた思念の影響を受ける可能性はありそう。
思念は空間を超えるので、電子的にお金を支払うことでパスを通すというのは、ある意味で現代的な呪術の一種になり得るかもしれない。
昔から、本名を明かさないということで思念を受けないという考え方はあったが、最近はお金を受け取るのにKYCが必要だから、代贄的なことはできそうにない。
自分が代表者ではない会社で受け取るという手はあるか。
安倍晴明の話がどこまで本当か分からないが、陰陽道、宿曜道系の世界観では物理的な肉体よりも名前が思念のターゲットになるらしい。
思念と体の扱い
剣術の世界では、うまい人ほど意念の起こりと体の動きにタイムラグがないから、意念の起こりを捉えて、その瞬間に対処を完了していなければ自分が斬られることになる。
ある意味で、思念が刀に乗ってくるのだから。
エネルギーの動きに即応できる体づくりが修行であると言える。
刀の動きを妨げない体の使い方。
刃筋が立つようすることが大切であって、スピードや力ではない。
スシュムナーの流れを整えるための脊椎の調整といったこともそうだろう。
恩寵
世界からのサポートは常になされていて、それをきちんと感じ取れるか、受け取れるかどうか。
人間は重力を強めたりすることはできないように、世界側をコントロールすることはできない。
恩寵のようなものがある前提で、それがスムーズに流れ込んでくる自分でいるようにすることが修行ということだろう。