思考と身体感覚。
畢竟、これだけが人生の価値だ。
煎じ詰めれば、これしか残らない。
好き嫌い、経済合理性、イデオロギーといった価値観全般、概念的なものは全て思考の産物。
真善美といった普遍的に妥当性のある概念も集合意識的に合意されている思考と言える。
セックス、心の温もり、五感、そういったものは身体感覚。
感情は思考と身体感覚の合せ技。
そもそも、価値とは、辞書によれば、
物がもっている,何らかの目的実現に役立つ性質や程度。値打ち。有用性。
のことだそうな。
別稿 「人は何のために生きるのか?」へのシンプルな回答 で人生の目的を述べた。
これに付け加えて言うなれば、
「人生とは、創造主世界への到達に向けて、思考と身体感覚を通して様々な経験をすること」
である。
つまり、己の思考を知り、身体感覚を感じることで経験を蓄積していくこと自体が人生の価値なのだ。
自分の外に認識されるあらゆることは、その価値を蓄積するための材料に過ぎない。
事物は形質であり、本質は自らの内にしかない。
つまり、何があってもなくても人生には価値があり、その価値を理解できた度合いが精神の階梯とでも言うべきものであろう。
人が歩む道のりは1つに収斂するが、途中には無限の多様性がある。
多様性を見て、右顧左眄するなかれ。
それすらも価値のうちではあるなれど。