神のことを「自己愛の塊」だとか、「純粋な観察者」だとか、あるいは「存在しようとする意識」だなどと思い込んでおられる方がいらっしゃるが、これは見当違いである。
神は、簡単にいえば「他者愛の塊」である。
もっとわかりやすく表現するならば、神は、愛をとことん極めようとされている冒険家である。
全宇宙に共通することだが、若い魂の場合、最初は自分を愛することをしっかりとお勉強することになっている。
であるから、こうした発展途上にある魂からのチャネリングを信じてしまうと、必然的に神は自己愛の塊ということになってしまう。
だが、そうした「ちいちいぱっぱ」の段階が終わると、今度は他者を愛することに徐々にお勉強の重点が移ってゆく。
そして最後には、どのような魂とて、神と同じように他者愛の権化のようになっていく。
全宇宙レベルでの古い魂である、イエス・キリストや、釈迦や、アンマなどの本物の聖者が何をなさったのかを見れば、神が「他者愛の塊」であるのは一目瞭然である。
がしかし、知識ばかりを渉猟しておられる方ほど、クロボーのニセ聖者のたわごとや、たわいもない引っ掛けチャネリングに、まんまと引っ掛かっておられるのが現実のようだ。
また、神は「純粋な観察者」とか「存在しようとする意識」などといった消極的な存在でもない。
神は、多くの魂の先頭に立って、最も困難な道を歩まれるパイオニアであり、飽くなき挑戦者である。
神は、この地球にも、また他の星星にも頻繁に転生を繰り返し、今も貪欲に愛の広さと奥行きを探求しておられる。
例えれば、神は時として管理職もやるが、大半は第一線で営業をこなすバリバリの現役であり、プレーイング・マネージャーなのである。
また、神のことを「喜び」だとか「光」だと思っておられる方もいらっしゃるが、これらは神のほんの一部分を捉えたものに過ぎない。
もう一度繰り返すが、神は、愛をとことん極めようとされている冒険家である。
であるから、神の子たる皆さんが何をするために地球にやって来られたのか、そろそろ悟らなければならない。
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