やむにやまれずやってしまうこと、どうしてもやりたいこと、人からバカだと言われるようなこと、心の中にありませんか?
そんなことこそ追求すべきなんじゃないかなと思います。
世に名を残した発明家や冒険家がやったことって、ふつーに考えて、自分だったら絶対やらないですよね(笑)
20世紀初頭、熱気球はあったものの科学的に不可能と言われていた飛行機を発明したライト兄弟。大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したリンドバーグ。単独太平洋横断航海に成功した堀江謙一さん。
いずれも「死んだらどーすんだよ」とか「それやったから何なの」などと言われかねないことを成し遂げることによって、彼らの人生は大きく変わったのだと思います。
名誉が欲しくてやったことだとしても、文字通り命がけなのですから、彼らにとっては、それだけの価値があることだったのでしょう。
一方で、伝統芸能の家に生まれついた方には別の意味で「そんなことやってどうする?」という心境が訪れるのかもしれません。
若い頃、周囲の友達が楽しく遊ぶ笑顔を横目に独り黙々と稽古を重ねる日々。そんなことを思うのではないでしょうか。
人生の幕を閉じるまでに芸事で大成する人というのは、若かりし頃の気の迷いを乗り越え、自らの往く道を定め続けた人なのでしょう。
はたまた、冒険家のような強烈な衝動に駆られることもなく、幼い頃から芸事の伝統に触れたこともない、フツーな私たちはどうすればよいのでしょうか。
私にとって、大いに参考になったのは、梅原大吾さん。
彼の『勝ち続ける意思力』という本には、ゲームなんて、それこそやってどうする?と問われる代表格だと思いますが、尋常ではないレベルでやり通すことで、業界で世界的な名声を得、職業にまでなってしまうという類稀なストーリーが記されています。
「経済的にしっかりしてないヤツは社会的にダメだ」とか「そんなことやってどうする?」という外野の声を退ける勇気を与えてくれる貴重な一冊です。
確かに通常の社会生活を送ろうと思えば、経済が安定していることは必須だと思います。だから、やってどうなるか分からないことについては、お金を稼いで、時間ができてからやればいいというのは、確かに正論かもしれません。
とはいえ、そんなこと言っていたらいつの間にか老人になって、体は言うことを利かない、世間的なしがらみはたくさんあるといった状況に陥って、本当にやりたいことができなくなってしまう可能性は飛躍的気に高まると思います。極端なことを言えば、今日交通事故で死ぬかもしれません。
刹那的に生きることを是とするわけではありませんが、毎瞬毎瞬の選択が刹那的に見えても、それが継続的に己の心を衝き動かすものなのであれば、それに従い続けるべきだと私は思うのです。
幸いにして私の「そんなことやってどうする?」マターは、武道や気功といった市民権を得たジャンルであるために、奇人変人扱いをされることは少ないのですが、それでもお金にならないことにかなりの時間とお金の投資をし続けていることが気にならないわけではありません。
でもね、やらないと後悔すると思うんですよ。今日、天変地異や交通事故で死んだら、まぁ、それはそれで仕方がないこととして諦めはつきますが、完全に道半ばだなぁと思って死ぬことになると思います。
どうせなら、やりきった感をもって死にたい。それこそが自分だけの人生の醍醐味なのではないでしょうか。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。
あなたに素敵な人生のひとときが訪れますように♪