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Dメール14 出来た人は還る人、出来ない人は・・・・・

  • 2023年6月28日
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前略 みなさま

その昔、唐代の詩人白楽天が、西湖の秦望山で修行していた道林禅師を訪ねた折の話です。

道林禅師は、松の木の上で座禅していたことでつとに有名な、一風変わったお坊さんです。

白楽天:「木の上で修行するなんて、危ないのではないですか」

道林禅師:「そんなことはない、お前さんのほうがよっぽど危ないわ」

白楽天:「どうしてでしょう」

道林禅師:「お前さんの心は、まるでたくさんの薪を積んだすぐそばで焚き火をしているように不安定なものだからだ」

 中間省略

白楽天:「それでは、仏教の極意とは何でしょうか」

道林禅師:「悪いことをしないで、善いことをすることだ」

白楽天:「それならば、三歳の子供だって知っていますが・・・」

道林禅師:「どれだけ知っていても、八十になっても出来ないのである」

「知っていても出来ない」

皆さんも心当たりがあるはずです。

それもひとつやふたつではないかも知れません。

暇な時に一度ゆっくり数えてみて下さい。

真剣に数えてみて初めて、知っているということと、それが出来るということは、全く別のものであることがよく理解できます。

誰しもそうですが、他人から自分が知っていることに関して少しでも諭されようものなら、何となく馬鹿にされたような気がして、「そんなことぐらい、言われなくても知ってます」とケンカ腰で返答されたことはなかったでしょうか。

どなた様に限らず、心当たりがあるはずです。

でも、知っていることがちゃんと出来るのなら、それこそ警察や裁判所はいらないわけであり、知っていても出来ないからこそ、そういったものが今も尚必要だということを、皆さんわかっているようでわかっていないのです。

ですから「頭ではわかっているのだけど、ついつい違ったことをやってしまう、何故だろう」と考えることが出来る人はまだいいほうです。

また「こんな簡単なことすら出来ないなんて、自分はなんて情けない人間なんだろう」と自己批判出来る方はかなり優秀なほうです。

ほとんどの方は、自分が出来ない言い訳を探すのに精を出すか、あるいは、「そんなもの出来ないのが当たり前だ、現にあの人もこの人もみんな出来てないじゃないか」と居直って終わりです。

「知っていても出来ない」実はこの辺が地球でのゲームを攻略するための急所となるところですから、今日はそうしたことをお話してみます。

それではまず最初に、何故「知っていても出来ない」のか、ということですが、その主たる原因は、人間がいくつものハンデを背負って生きていかなければならないことにあります。

もし、そうしたハンデがひとつもなければ、誰しもが「知っていたら出来る」のです。

それでは、どういったハンデを人間が背負っているのかと言うと、その最たるものは肉体です。

以前にも申し上げましたが、現在人間が纏っている肉体は、実は宇宙最悪の制限服なのです。

どれぐらいひどい代物かというと、全宇宙の物理的生命体の元型であるアダムカドモンと比較して、その能力はまさに天と地、月とすっぽんぐらいの大きな差があります。

大体の感じだけをかいつまんでお話すると、外見は今の人間と同じように見えても、アダムカドモンともなれば、食べたり、飲んだり、寝たり、病気したり、老いたり、することがないのはもちろんのこと、物質化やテレパシーなどのありとあらゆる能力を有していて、物質宇宙の頂点に立つにふさわしい、神に準じた能力を持っています。

今の人間から較べれば、まさに神そのものといっても良いくらいです。

ですから、今現在人間が纏っている肉体は、性能的にいうと、ピンからキリのキリに該当し、本来完全自由である人間の本質生命体にとって、肉体はあらゆる活動を制約する宇宙最悪の制限服なのです。

戦後、皆さんは何かにつけ、自由だ自由だ、などということを言われるようになりましたが、これはほかに例えようもないくらいのものすごい錯覚であり、人間は肉体を纏っている限り、自由とはほど遠いのが現実なのです。

歴史を振り返ると、確かに近世以降、フランス革命やアメリカ南北戦争また第二次世界大戦などを契機に、それまでの封建制度、奴隷制度、植民地主義などが是正され、一時から較べれば人々の自由度はかなり改善したような印象を受けますが、それはあくまで人間が人間を直接的に過度にコントロールしてきた最悪の時代と比較してのことであり、いくらそういったジャンルでの改善がなされてきたといっても、人間が宇宙最悪の制限服である現在の肉体を纏っているという事実には何ら変わりはなく、自由度をわかりやすく数字にして説明すると、最悪の時代をマイナス100ポイントとして、現在はせいぜい5ポイントほど改善したマイナス95ポイントぐらいにしかなっていないのです。

また、人間が他の人間をコントロールする手法が、以前よりも一段と巧妙化しただけで、マインドコントロールといった観点からは年を追うごとに強化されていますから、思ったほどには改善していないのが現状なのです。

そもそも本当の自由とは、思想・言論・行動・宗教・職業・婚姻といった地球で論議されているような個々の狭い範疇で規定されるものではなく、思ったことすべてが即座に現実化するということであり、今の地球のように思ったことがなかなか現実化しない、あるいは現実化するのに相当な時間がかかるバージョンは、自由があるというよりも、むしろ自由がほとんどないバージョンであると言った方が正確なのです。

また、高次の世界においては、思ったことすべてが即座に現実化するのは当たり前のことであり、自由が「常態」となっているため、あえて自由を意識する必要などなく、もしかすると自由というボキャブラリー自体が存在しないのかも知れませんが、地球では不自由が「常態」になって、自由が「一時的な状態」にまで追いやられているため、不自由を表現するための手段として、対極となる自由という言葉が頻繁に用いられている感じがします。

そして、この地球では不自由が当たり前になっているため、何か少しでも自由が向上するようなことが起きると、皆さんがさも大きな自由が得られたかのような錯覚に陥ってしまうことが、過去幾度となく繰り返されてきたのです。

自由の話が出たついでに、この宇宙における愛と自由の関係について説明しておくと、高度な愛を表現している領域では高度な自由が与えられ、低度な愛しか表現できない領域では低度な自由しか与えられない、というのが基本的なルールになっています。

 それでは、何故そうしたルールが設けられているのかというと、低度な愛しか表現できない魂たちに高度な自由を与えてしまうと、その領域が短期間に全滅してしまう可能性が高いため、そうなっているわけです。

特に限度ギリギリまでエゴが強化されている地球では、あっという間に全滅してしまうことが予想されるため、肉体という宇宙最悪の制限服を着せたうえ、なおかつ極限まで自由、すなわち思考の現実化を制限して、最悪の事態を回避しているわけです。

もしこの地球で、よその星よりも何かしらの大きな自由があるとすれば、それは少々の悪いことならいくらでもやって良い、というあまり有り難くない自由です。

ですから、そうした自分のことすらもままならない肉体を纏ったうえに、自由まで徹底的に制限され、なおかつ家族や他人様の世話をしながら生きてゆかなければならないという状況下では、何かにつけ「知っていても出来ない」ことが出てくるのは、至極当然なのです。

  そして、そうした傾向に一段と拍車をかけているのが、二つ目の大きなハンデであるエゴの存在です。

エゴはわかりやすく言うと、自分を守ろう、あるいは自分の利益を優先しようとする意識のことですが、もしエゴがなければ、人間は宇宙最悪の制限服である肉体を纏った状態で、生存競争の激しいこの地球で生きてゆくことなど到底不可能であり、そういった観点からは否定すべきものではないのですが、一方ではエゴが強すぎると、自分にとって不利益となることに対してことごとくブレーキをかけたり、自分のことばかりを優先するような行動をとるようになり、この辺の按配がなかなか難しいところなのです。

三つ目のハンデが、一番たちが悪いカルマです。

何故一番たちが悪いのかと言うと、自覚することが極めて難しいからです。

また、カルマはエゴとタッグマッチを組んで、何かにつけ皆さんを悪い方に悪い方に誘導し、時には皆さんをどん底にまで突き落とすようなことも平気でします。

このため、多くの方が対応に苦慮しているのが現状です。

そして、こうしたハンデに加え、人間が悩み苦しむような様々な仕掛けがこの地球には山ほど設定されているため、良いことをしようと思ってもなかなか出来ないし、逆に悪いことだとわかっていてもついつい悪いことをしてしまい、何事につけ「知っていても出来ない」という結果で終わるのです。

それでは、何のためにそうしたハンデを背負ってまで、人間がこの地球で生きてゆかなければならないのかというと、そうした困難な状況下で、いかに愛を実践できるかのゲームをやっているからであり、また愛の広さと奥行き、すなわち未知なるものを探求しているからなのです。

そして、そうしたゲームにあえて参加を決められたのが他ならぬ皆さんであり、第三者が皆さんに無理強いしたわけではないのです。

また、そうした宇宙一難しいゲームであるからこそ、他の星よりも百倍・千倍のスピードで魂が進化するメリットも一方ではあるわけで、全体としてはきちんとバランスが取れているのです。

だとすると、いつまでも「知っていても出来ない」などと寝言を言ってても埒が明かないわけであり、そうしたゲームであることがわかったならば、ゲームに勝つべく、それ相応の努力をすべきなのです。

どんな努力かというと、何か特別なことをしなければならないということではなく、ただひたすら愛を実践すればそれで良いのです。

愛を実践することによって、自然とハンデも克服してゆくことが出来るようになるから、愛とは誠に持って不思議なものなのです。

要は、愛は不純物が混ざった状態では一見無力のように見えるが、純度が高まるにつれ、急速に本来の驚異的な力を発揮するようになる、ということなのでしょう。

それから、先日も申し上げたとおり、昨今は末法の世だけあって、精神世界ではそれこそありとあらゆる情報が溢れ、色んな方々が様々なことをおっしゃっていますが、そうした理屈や能書きなど、皆さんにはもう何も必要ないということをよくご理解下さい。

何かしらのお題目を唱えたり、特別のテクニックを習得すれば覚醒できるわけではありませんし、あるいは第三者が何らかの秘法を使って皆さんを覚醒させることが出来るわけでもありません。

多くの方が、そういったクロボーの妄言にまんまとハマって、悲しむどころかかえって喜んでいらっしゃいますが、そんなチンケなことが宇宙一難易度が高い地球学校であるわけがないのです。

また、たとえファーストコンタクトであろうがNESARAであろうが、人類全体にとっては大きな出来事かも知れませんが、皆さんにとってはいずれも大したものではないのです。

何故なら、それが起こった時には皆さんのゲームはもうほとんど終わっているわけであり、それが起こるまでが皆さんの勝負どころだからです。

私はこれまで、馬鹿のひとつ覚えのように「愛の実践」ばかりを言い続けてきました。

そして今日も言い続けています。

何故だと思われますか。

それは、この地球では、愛はただ思うだけではなく、何らかの形で実践すべきものだから、そう言い続けているわけです。

先ほども申しましたが、高次の世界では思ったことすべてが即座に現実化します。

何故そうなるかといえば、思ったことがみな愛に基づいているからそうなるわけです。

高次の世界では、愛はただ思うことによって実践したのと同じことになるわけです。

だとすると、何のためにわざわざ宇宙一難易度が高い地球学校を作る必要性があったのか、ということになるわけですが、ただ愛を思うだけではなく、思ったことを次の段階として何かしらの行動に移すことが出来るかどうかを徹底的に訓練したり、その新たなる方法を模索するために、この地球という特殊な学校が必要だったということなのです。

そして、愛の思いをいとも簡単に行動に移すことが出来る設定では何の意味もないので、この地球ではいくら頭の中だけで愛を思っても、容易に行動に移せないような、様々なハンデやイジノワルイ仕掛けが数多く設定されているのです。

だから、ほとんどの方が「知っていても出来ない」という段階で足踏みしたまま、過去何回も落第してきたのです。

はっきり言ってしまうと、愛はただ思うだけとか、頭で理解しただけでは、地球でのゲームの趣旨から大きく外れており、ほとんどポイントにならないのです。

ですから、愛の実践が最も大切なのですよ、と繰り返し申し上げてきたのです。

幸か、不幸か、どちらなのか良くわかりませんが、今現在も延長戦が続いています。

皆さんの中には、今も尚周囲を見渡して何となく安心感をお持ちの方がいらっしゃるのかも知れませんが、それがそもそもの間違いの元なのです。

周りは、皆さんの合否と一切関係ないのです。

皆さんおひとりおひとりが、愛の実践が出来たのか、それとも出来なかったのか、を問われているのです。

もうすぐ、出来た人は還る人、出来ない人は・・・・・ということになるでしょう。

選んでいるのは皆さんです・・・・・。

D

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